シールを貼れば世界が良くなるのではないか
こんなtweetをみた。
駅とかの道案内表示で「○○市民ホール→」とある。しかしその先のエレベーターの有無は表示がない。車椅子で行くも結局階段しかなく、また逆戻りをする。すごく不便だし心を削られる。ああ、あの表示は立派に歩ける方々向けであって、そこから車椅子は排除されてるのね、と。生きててすみませんねと。
— マルコ (@marco11) 2014, 9月 17
とても不便そう。 すすんでいった道をもどるというのはがっかりすることだ。時間もたくさんかかってしまう。そしてそれよりも自分が対象とされていないことをつきつけられる疎外感、そうだな、例えば同窓会の連絡が自分にこないみたいなものににているのではないか。
でも、これをだれかに解決してもらおうと思うととても”コスト”がかかりそうだ。どうしているか、本当にいるか、予算はどのくらいいるか、どこにいるか、どこからどこまでやれば終わりか、などといった”コミュニケーションコスト”だけでも大変なことになりそうである。 やりますかーとなったらこんどは、入札条件はなにか、どんなものをはるか、どんな資格がいるか、みずでとれちゃったらいけないね、ちょっと業者にそうだんしなきゃなどとなって、ここでもまた延々とかかりそう。
純粋に実現するためのコストは何なのかと考えてみると * シール代 (まあそれなりにいいものにしないとはがれ落ちたりゴミになるかもしれない) * シールへの印刷代 * シールを貼る人
これかける「全部」ってことになって、まあまあそれなりに大きくはなりそうだ。
でも本当に全部やらなくてもいいんじゃないかな、少しでも良くなれば。 賛同するひとたちでせっせとやればいいのではないか。
情報がないと困る人のために、ちょっと負担してちょっと行動してもいいやという人は結構いるのではないだろうか。
どうだろう、だれかが善意で貼ったシールが、誰かを助けていくような そんな少し良い世界は自分たちにもつくれるんじゃなだろうか。
よかったら意見をきかせてほしいなー。